『日本的霊性』《中編》
鈴木大拙(著)
皆さん、こんにちは。アトリエシムラの志村昌司です。今回は、鈴木大拙の『日本的霊性』の中編をお届けします。『日本的霊性』は岩波文庫版が有名ですが、角川ソフィア文庫からも出版されています。後者は解説も丁寧で、比較的読みやすいかと思います。本日は、この本の内容について具体的にご紹介していきます。
【目次】
緒 言 − 日本的霊性につきて
第一篇 鎌倉時代と日本的霊性 − 情性的生活
第二篇 日本的霊性の顕現 − 日本的霊性の胎動と仏教
第三篇 法然上人と念仏称名 − 平家の没落
第四篇 妙好人 − 赤尾の道宗
解 説……篠田英雄
『日本的霊性』の全体構成
まず、本書の全体的な構成について触れておきましょう。『日本的霊性』は、日本的な霊性がいかにして歴史的に自覚され、具体的に顕現してきたかを論じた著作です。全体は五編から成り立っています。
第一編:鎌倉時代と日本的霊性
鈴木大拙は、日本史上、特に鎌倉時代が日本的霊性の「自覚期」であったと見立てます。ここが一つの画期となりました。
第二編:日本的霊性の顕現
この日本的な霊性が、具体的に、純粋な形で現れたのが仏教、とりわけ浄土系思想と禅であると論じられます。
第三編:法然上人と称名念仏
仏教の中でもまず浄土宗に注目し、開祖である法然上人による称名念仏が、日本的霊性の代表的な例として紹介されます。
第四編:妙好人
妙好人とは、学問や教理に通じた人ではなく、市井にあって信仰心厚く生活している在家の信者のことです。彼らの生き様を通して、霊性の実践的・体験的な側面が取り上げられます。
第五編:『金剛経』の禅
最後に、『金剛般若経(金剛経)』を土台とする禅の思想を分析します。非常に難解ですが、その根底にある「即非(そくひ)の論理」を、日本的霊性の知的な表現として提示します。
このように章を立て、大拙は日本的霊性が鎌倉時代を起点として徐々にその姿を現していく様相を描き出していくのです。
日本精神から霊性へ:二元論の超克
ここから本論に入ります。まず、「日本精神から霊性へ、二元論の超克」というテーマから始めたいと思います。大拙がいかにして二元論を超克しようと考えたかについてです。
大拙が「精神」ではなく、あえて「霊性」という言葉を使った理由は、本書が出版された1944年という時代背景と深く関わっています。太平洋戦争の末期、日本の敗色が濃厚になりつつあった時期でした。大拙は、戦時中にイデオロギーとして掲げられた「日本精神」論に対抗し、本来の日本人の心の在り方としての「日本的霊性」を提示することで、戦後の日本復興をも見据えていたのです。
特に戦後、新版に付された序文では、軍部の圧力やその背後にあった国家主義・全体主義への強い違和感から、日本的霊性なるものを見出し、それによって世界における日本の真の姿を映し出す必要性を痛感したと記されています。
大拙によると、「日本精神」の「精神」という言葉は、例えば「精神と身体」のように、物事を二つに分けて捉える二元論的な世界観が前提になっています。それに対して「霊性」という言葉は、二つのものが「畢竟(ひっきょう)ずるに二つでなくて一つであり、また一つであってそのまま二つである」という、二元論を超えた関係性を表しているとされます。
これは、物事を二元論的に分析しがちなヨーロッパ的な思想とは異なる考え方であり、大拙はそれを「霊性」という言葉で表現しようとしました。
この霊性の立場に立つと、世界は「今までの二元的世界が、相剋し、相殺しないで、互譲し、交歓し、相即相入(一切が対立せずに融け合い、影響し合っている関係)するようになる。」と説かれます。つまり、対立する二項が争うのではなく、お互いに補い合い、対立を保ったまま融合していくような関係です。鈴木大拙は、このような非二元論的な世界観の論理構造を「即非の論理」と呼びました。この即非の論理が、本書における知的な核心部分となっていきます。
霊性との出会い:限界状況からの覚醒
次に、この霊性というものが、どのような契機で生まれてくるのかについて見ていきましょう。霊性は決して抽象的な概念ではなく、私たち一人ひとりが自分自身の内なる霊性と出会っていく経験的なものです。
では、いかにして内なる霊性に出会うのか。逆説的かもしれませんが、安穏で安定した生活の中から霊性の自覚が生まれるわけではない、と大拙はいいます。むしろ、現世に対する深い反省、つまり人生の苦難や苦悩といった様々な逆境に私たちが直面するとき、そして自らの業(ごう)の重圧を痛切に感じ、その因果からの離脱を願う切実な生の衝動から、霊性の自覚は始まるのです。
例えば、私の祖母である志村ふくみのエピソードを考えてみます。彼女は初期の代表作『秋霞』を制作する際に「絶体絶命の境地」を感じたといいます。離婚し、子どもを東京に置いて近江八幡に戻り、これから染織の道を歩むにしても技術も資金もない。そのような非常に追い詰められた状況の中で、どうやってこの一枚の着物に自分の思いを込めようかと考えました。安穏な生活とは全く逆の、切羽詰まった人生の苦悩が凝縮されたような瞬間です。
しかし、その極限状況の中で、自分自身の内面と出会い、霊性と出会ったことで出来上がった『秋霞』という作品は、ふくみの母・小野豊に「あなたはこれ以上の作品はできない」と言わしめたほど、非常に力のある作品になりました。苦労や逆境の中にこそ、自分の内なる霊性と出会うきっかけがあるのだと言えます。
鈴木大拙が指摘するのは、私たちが単なる知的な作業によって霊性と出会うわけではない、ということです。むしろ、自分の生々しい現実の中、ある種の深い絶望の中でこそ、霊性の覚醒が生まれるのです。
大悲者との出会いと「二度生まれ」
大拙の言葉で言えば、こうした限界状況の中で、自分の限界を超えた存在、すなわち「大悲者」(阿弥陀仏や菩薩のような存在)と出会うことによって、私たちは再生し、自己認識が変わり、宗教的な意識に目覚めていくといいます。したがって、限界状況に追い込まれた人は、逆説的に大悲者と出会い、その人自身が生まれ変わっていく契機を得るのです。
このことは仏教だけに限られません。例えば、アメリカの心理学者・哲学者であるウィリアム・ジェームズは『宗教的経験の諸相』の中で、宗教的な意識の在り方の一つとして「二度生まれ」という考え方を紹介しています。これは、現世に対して非常に悲観的で、幸福になるためにはもう一度生まれ変わらなければならないと感じているような人を指します。
この二度生まれの考え方と、鈴木大拙の言う、絶望的な状況の中で大いなる存在に出会うということには、深い共通性があります。一度、この世の中で絶望を経験しなければならないのです。(私個人としては、石牟礼道子さんの思想にも非常に近いものを感じますが、)いずれにしても、限界的な状況にいる人は、その先に、日常では出会えないような大悲者と出会う可能性が開けてきます。
そうした一度深い否定の淵を通過することによって、逆説的に現世を肯定するような魂の在り方が生まれてくるのです。
霊性の根源性:「大地性」と生活現実
関連して、霊性の根源性という問題があります。大拙は、霊性は決して観念的な概念ではないということを繰り返し強調します。むしろ、霊性は非常に「大地性」を持っていると説くのです。
大拙は、「霊性は、どこでもいつでも、大地を離れることを厭う」と述べます。ここでいう大地とは、物理的な土地のことだけではありません。私たち一人ひとりが根を張って生きていく、具体的な生活現実そのものが大地性なのです。
先ほど述べたように、限界状況の中で自らの霊性に出会うということも、そもそも霊性が具体的な生活現実の中に根ざしているものだからこそ起こり得ます。霊性は、抽象的な思弁や教理の体系のうちにあるのではなく、生きる生命の実感の中にこそ見出されるのです。
そう考えると、霊性の自覚は、むしろ学のある人からは遠ざかっているかもしれません。概念や知識が、かえって霊性との出会いを妨げる側面があるということも、ここで強調しておきたい点です。
鎌倉時代における覚醒
大拙は、この大地性の覚醒、すなわち日本的霊性の覚醒が、歴史的にいつ起こったかについても論じています。それは平安時代の貴族文化にはなく、鎌倉時代の武士の文化への転換によって初めて起こったと主張します。貴族は京都の都の中で土地との関係が非常に薄く、観念的な文化の中で生きていました。それに対し、鎌倉武士は土地に根差した生活をしており、常に生と死の現実を直視せざるを得ませんでした。そうした武士一人ひとりの極限状況や、土地に根差した農民たちの生活の中に、本来の日本人の霊性が宿り、目覚めたのだといいます。
特に、次に注目する浄土宗の法然や親鸞も、京都から離れて地方で生活を送る中で自らの思想を深化させていきました。このことも、霊性がいかに大地性を持ち、具体的生活実感の中でしか理解できないかということの証左であると言えるでしょう。
日本的霊性の二つの顕現:浄土宗と禅
さて、次に、日本的霊性の具体的な現れ方として、浄土宗と禅について考えていきましょう。大拙は、「浄土系思想と禅とが、最も純粋な姿で日本的霊性がある」と述べています。
この日本的霊性が、具体的な歴史的現実の中でどのような表現形態をとったのか。大拙はそれを「情的(情緒的)表現」と「知的(知性的)表現」の二つに分類します。情的表現の最たるものが浄土教(浄土宗)であり、知的表現の最たるものが禅であると位置づけるのです。
浄土宗①:法然の一心の念仏
まず、浄土教における霊性の情的表現から見ていきます。これは本書のハイライトとも言うべき部分であり、後に柳宗悦が感銘を受け、民藝思想と結びつけた点でもあります。
特に浄土教の核心は、法然の「一心の念仏」にあると大拙はいいます。大拙によると、浄土系思想の中心は、極楽往生という目的ではなく、念仏という行為そのものにあるのです。これは非常に重要な指摘です。何かの目的のために(手段として)念仏を唱えるのではなく、念仏を唱えるという行為そのものが目的になっているのです。
大拙は「浄土系思想の中心は念仏であって極楽往生ではない。…念仏しつつ往生を考えていては、その念仏は純粋性をもたぬ、絶対の念仏ではない。…念仏そのものが大切なのである。一心の念仏だけが大切なのである」とも述べています。極楽往生したいという計らいを持って念仏を唱えているようでは、その念仏は純粋ではないということです。知性や計らいを捨て、ひたすらに念仏を唱えるこの一心の境地。「一文不知(いちもんふち)の愚鈍」と言われますが、こうした一心に念仏を唱えていくことの中に、純粋な日本的霊性の発露を鈴木大拙は見るのです。
浄土宗②:親鸞の「一人がため」
この思想をさらに徹底したのが親鸞です。親鸞は『歎異抄』の中で、次のように述べています。
「弥陀(みだ)の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人(いちにん)がためなりけり」
五劫とは非常に長い時間のことです。阿弥陀仏が久遠(くおん)にわたって思惟されたこの願い(本願)は、よくよく考えてみると、ひとえにこの親鸞一人のためであった、という言葉です。
この「親鸞一人がため」とはどういうことでしょうか。一見すると、利己的に「私のために阿弥陀仏が祈ってくれた」と聞こえるかもしれませんが、そうではありません。むしろ逆なのです。
阿弥陀仏の五劫思惟の願いが誰のためにあったのかといえば、それは私のためである。これは、「私こそが救いがたい、罪深い凡夫(ぼんぶ)である」ということを徹底的に認識した言葉なのです。
凡夫や罪深い存在といったとき、人は自分のことはさておいて、なんとなく一般的な言葉として受け止めがちです。しかし、そうではなく、まず自分自身が罪深い存在なのだと、親鸞はここで引き受けているのです。
これは、阿弥陀仏の慈悲が自分ごととして体得される、自分自身の罪深さに対する痛切な自己認識です。具体的に親鸞が自らの人生で感じた様々な絶望や苦難の中で、初めて阿弥陀仏の本願が「このような私のためにこそあったのだ」という認識に至ったのです。特に越後での流罪生活という、大地に根差した生活が、親鸞にその境地をもたらしたといいます。
こうした痛切な自己認識が、自らの霊性に覚醒することにつながりました。大拙はこれを「個己(こき)を通して超個己的なるものを経験した」と表現しています。自分という個別的な存在を通して、それを超えた霊的なものを経験したということです。自分自身の限界と出会うことによって、その限界を超えた超個己的、霊性的なるものに出会ったのです。
そう考えると、私たちが人生の中で苦難に出会ったり、絶望したり、自分の罪深さを痛烈に認識することがあったとき、それは実は霊性に最も近いところまでたどり着いている瞬間であるとも言えるのです。
妙好人:体験と実践の徒
浄土系の思想の流れで、大拙はさらに、この霊性の最も良き体現者が「妙好人」であると論じます。妙好人は主に浄土真宗の在家の信者ですが、彼らは決して教理・経典に詳しかったわけではありません。信仰を生活の隅々にまで生かし、真に他力に生きた人々です。彼らこそが最も日本的霊性に近い人々であると大拙はいいます。
大拙は、妙好人の一人である浅原才市(あさはらさいち)の言葉を引いて、次のように述べます。「吾らのごとく文字の上でのみ生きているものは、何事につけても観念的になって、味わうことをせぬ。才一の如きは、文字に縁が遠いだけ、言葉の上の詮索をさけて、何事も体験の上で物語るのである。」
知識人は、文字の上でのみ生きてしまい、観念的になってしまっている。自らの生の実感の中で物事を考えていない、という痛烈な批判です。これは観念論に対する批判であり、生の実感に対する絶対的な信頼です。観念よりもむしろ体験が決定的に重要なのだと大拙は説きます。
禅と「即非の論理」
ここまで、浄土真宗のような日本的霊性の「情的表現」を見てきました。一方で、もう一方の「知的な表現形態」が「禅」です。ここでいよいよ「即非の論理」という問題が出てきます。
禅は霊性を知性的に表現しています。この霊性の論理構造を、大拙は『金剛経』の中から取り出した「即非の論理」という考え方で説明します。
即非の論理は、いわゆるヨーロッパの形式論理学では捉えられない考え方です。形式論理学における「矛盾律」は、「Aは非Aではありえない」というもので、対立する二つのものはどちらかが真であればどちらかが偽です。しかし、世の中の実在は、そうした矛盾律では捉えきれません。即非の論理は、その実在の在り方を捉えようとします。
否定を媒介にした肯定
例えば、大拙は次のように述べます。
「山を見れば山であると言い、川に向かえば川であると言う。これが我らの常識である。ところが、般若系思想では、山は山でない、川は川でない、それゆえ、山は山で、川は川であると、こういうことになるのである。…すべてわれらの言葉・観念または概念というものは、そういうふうに、否定を媒介にして、初めて肯定に入るのが、本当の物の見方だというのが、般若論理の性格である。」
謎かけのような言葉です。これは、実在と言葉(概念)の関係を考えてみるとよく分かります。
言葉や概念は、実在から抽象化されたものであって、言葉や概念そのものは決して世界そのものではありません。ここで「山は山ではない」というのは、「山」という概念や言葉は、実在の山そのものではない、ということです。
私たちは普段、「山である」「川である」という形で、概念の世界の中で生きています。しかし、その概念や観念を一旦否定しないと、その先にある実在の世界に出会うことはできません。観念の牢獄の中に自我が閉じ込められている状態から、まずその観念を一旦否定するのです。
私たちが「山」という言葉で認識していたものを一旦否定することによって、名状しがたい何かしらの実在のものと再び出会い直し、真なる山に出会うことができる。これが「否定を媒介にして始めて肯定に入る」ということです。
私たちが認識する以上、必ず言葉や概念は生じざるを得ません。しかし、そうした日常の認識行為を一旦括弧に入れる、否定するというプロセスが、真なる世界に出会うためには必要なのです。これが「般若の論理」とも呼ばれます。
不二の境地と西田哲学との共鳴
この般若の論理、あるいは即非の論理は、「不二(ふに)の境地」に到達するといいます。
不二の境地とは、もはや二元的な対立が生まれる以前の、分別がなければ矛盾も対立もない、ただありのままの世界が存在している状態です。そこに分別が入ると価値判断が生まれ、二元論が生じ、様々な対立が生まれてきます。そうした認識以前の世界に到達し得る論理が、大拙のいう即非の論理なのです。
これは非常に知的な表現です。先ほどの親鸞の話は、自分自身が実存的に極限的な状況に到達する中で自分の霊性に出会うという、生のリアリティの中での体験でした。それに対し、こちらは普段の認識行為を超えるような即非の論理によって霊性に出会っていくという、知的なアプローチになります。
これは、鈴木大拙が金沢の第四高等学校(四高)時代からの学友であり、生涯の友人であった西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」という考え方と深く共鳴しています。西田幾多郎の絶対矛盾的自己同一も、分別による様々な矛盾が、実はその矛盾を抱えたまま一つの世界になっているという、不二の境地、ありのままの世界を哲学的に表現したものです。鈴木大拙と西田幾多郎は、仏教思想と西洋哲学というアプローチの違いはあっても、探求したテーマは非常に近かったと言えます。
「人」と無住の生き方
こうした霊性体験をする主体のことを、『金剛経』の中では「人(にん)」と呼びます。この忍の考え方は、『金剛経』の「応無所住、而生其心(応(まさ)に住(じゅう)する所無くして、其の心を生ずべし)」という言葉が示すように、何者にも執着しない心、いわゆる「無住(むじゅう)」の生き方の中にこそ、個を超えた超個という霊性が立ち上がるといいます。
この人とは、何者にも執着しない無住の生き方をしている主体です。これは、江戸時代の禅僧、至道無難(しどうぶなん)の次の歌にも通じます。「生きながら死人(しびと)となりてなり果てて 思いのままにするわざぞよき」。生きているけれども完全に死んだ人間のようになる、という意味ですが、それは自我や我執(がしゅう)、利己主義といったものが全て死滅しているような「無心の境地」の在り方を表現しています。そして、その境地に至って初めて、自由な振る舞いが可能になるのです。
これは「自然法爾(じねんほうに)」と呼ばれる、本当のありのままの姿に達した人の心の在り方です。この我執を捨てる考え方は、民藝でいうところの「無心の心」につながっていきます。柳宗悦が、本来の美しい民藝品を作る人々は、こうした自然法爾の在り方を実践している人々であると論じたことにもつながるのです。
孤独と横超:他力による跳躍
ここまで、日本的霊性は鎌倉時代に大地性が発揮されたことから始まり、生の実感からの出会い方(浄土系)と、即非の論理のような知的な側面からの出会い方(禅)があると見てきました。
最後に、鈴木大拙が再び注目する、親鸞の思想における「横超(おうちょう)」について触れておきたいと思います。先ほどの「親鸞一人がため」の話は、あらゆるものから孤立し、自分一人が阿弥陀仏と結び合うような、非常に個的で孤独な関係性でした。根源的な孤独と言いますが、そのような人こそが霊性の人であると言えます。
この絶望的な孤独から、霊性の次元へと突破するために必要なものは何か。根源的な孤独から、さらに新しい霊性の次元に開けていくために必要なこと、それが「横超」という考え方です。
横超とは他力による跳躍を意味します。これと対比されるのが自力の思想です。縦に段階的に修行することによって霊性に目覚めていくのが「縦の超越」、すなわち自力道(聖道門)であるとするならば、横超は、凡夫が凡夫のまま、人間を超えた他力の力によって一挙に救済されるという、「他力的な跳躍」、すなわち他力道(浄土門)です。
この他力道は、自力道とは異なり、自分の存在を超えた大いなる存在によって、一気に凡夫のまま救済されるという考え方です。自分と仏との間の矛盾を解消するのではなく、むしろ矛盾を抱えたまま内なる霊性に出会っていく道が、横超の考え方であると言えます。
今回は、鈴木大拙『日本的霊性』の中編としてお伝えしました。次回後編では、最終的にこの日本的霊性がどのような結論を迎えるかについてお話しします。
志村昌司(アトリエシムラ代表)による読書案内です。
主に文化、芸術、思想に関連する書籍を取り上げます。
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