
『「社会問題の核心」を読む』《中編》
著:高橋巖
皆さん、こんにちは。アトリエシムラの志村昌司です。今回は、前回に引き続き、高橋巌氏の著書を手引きに、ルドルフ・シュタイナーの『社会問題の核心』を読み解いていきたいと思います。
『社会問題の核心』は、シュタイナーが1919年、第一次世界大戦直後に体系的に著した社会論です。旧来のヨーロッパ文明が破綻し、革命の機運が高まる中で、これからの社会がどうあるべきか、その構想の指針として書かれました。
『『社会問題の核心』を読む』著:高橋巖版元:春秋社(2024年)
【目次】
第一講 私たちが変わると社会が変わる
第二講 グローバリゼーションの行方
第三講 現代人の精神生活
第四講 神智学と社会問題
第五講 社会の根底にある日本文化第六講 日常生活の精神化
孤独と共同体
あとがき
現代社会の病理と社会有機体三分節論
前編では、本書の主要なテーマを二つ確認しました。
第一に、社会論を構想する前提として、私たち一人ひとりの内部にある「社会意志」が不可欠であるという点です。既存の社会に自分を適応させるのではなく、「自分にとって社会はどうあるべきか」という内なる視点から出発することの重要性が強調されました。
第二に、現代社会が抱える病理、すなわち、あらゆるものが商品化されてしまう問題です。物だけでなく、労働や土地、さらには精神性までもが商品となり、その結果、営利主義(効率性と利益の追求)が社会全体を支配してしまう危険性があります。社会の根底が経済活動に飲み込まれてしまうことこそ、現代の問題の本質であると指摘されました。
こうした状況に対し、シュタイナーは社会を一つの生命体と捉える「社会有機体三分節論」を提唱しました。社会は以下の三つの異なる領域から成り立ち、それぞれが固有の原理に基づいて自律的に機能することで、初めて健全な社会が成立すると説いたのです。
-
精神生活(文化・教育・芸術・学問など)
-
法生活(政治・国家・権利関係など)
-
経済生活(生産・流通・消費など)
今回は、この中でも特に「法生活」と「精神生活」の関係性について、議論を深めていきます。
法生活と精神生活の根本的な違い
シュタイナーは、これら三つの領域には、それぞれ異なる理念が必要であると考えました。これはフランス革命の三つの理想(自由・平等・友愛)に対応しています。
法生活の理念:「平等」
まず、法生活(国家)の役割から考えていきましょう。法生活の領域における大前提は、「法の下の平等」です。私たち一人ひとりは、身体的特徴、能力、思想信条など様々な違いを持っています。しかし、法の前では、誰もが等しい権利を持つ一人の個人として扱われなければなりません。選挙における一人一票の権利がその典型であり、そこではいかなる差別も許されません。法生活において最も重要な理念は「平等」です。
精神生活の理念:「自由」
一方で、精神生活の領域においては、この「平等」という理念は適合しません。私たちの内面、精神性は一人ひとり全く異なり、それを画一的に扱うことは、人間の本性から見て極めて不自然だからです。
精神生活においては、一人ひとりの個性や才能が、他と比較することのできない絶対的な価値を持ちます。芸術家の創造性や個人の信仰などは、その人固有のものであり、尊重されなければなりません。したがって、ここでの理念は「平等」ではなく、何ものにも束縛されない「自由」なのです。
なお、残る「経済生活」の理念は、分かち合いと助け合い、すなわち「友愛」であるとされます。
なぜ領域の峻別が重要か:イデオロギーによる精神の支配を防ぐ
シュタイナーは、法生活における「平等」と、精神生活における「自由」を明確に区別し、それぞれの領域が独立性を保つべきだと強調します。ここが非常に重要なポイントです。
もし、法生活(国家)の理念が優位になり、精神生活の領域にまで「平等」の原理が侵入してくるとどうなるでしょうか。「我々は皆、同じ国民であり、同じ精神を持たなければならない」という画一化への圧力が生じます。これこそが、特定の思想や信条で人々を束ねようとするイデオロギーの正体です。
シュタイナーがイデオロギーを批判するのは、国家権力(法生活)が個人の内面(精神生活)を侵食し、人々の精神を一つの色で塗り固めてしまう危険性を見抜いていたからです。精神生活における「自由」とは、一人ひとりが多様な精神性を持つことの保証であり、決して皆が同じ考え方を持つことではありません。だからこそ、法生活と精神生活は峻別されなければならないのです。
量的思考(法)と質的思考(精神)
この二つの領域の特徴は、思考の様式によっても区別できます。
法生活(量):選挙の一人一票のように、人々の意見は数量化されます。多数決のように、「量」の原理で物事が決定される領域です。
精神生活(質):芸術作品や思想の価値は、賛成者の数や市場価格といった「量」では測れません。たとえ少数意見であっても、その価値が損なわれるわけではありません。そこでは、「質」的な深さが問われます。
異なる領域における異なる原理を正しく認識し、混同しないことが、健全な社会の基盤となるのです。
社会を形成する力:「社会感覚」と他者への共感
さて、私たちが健全な社会を形成していく上で、内なる「社会意志」と共に重要になるのが「社会感覚」です。これは、他者を理解しようとする力、他者への共感力と言い換えることができます。
「全身当事者主義」という姿勢
高橋巌氏は、この社会感覚を説明するために「全身当事者主義」という示唆に富んだ言葉を用いています。これは、相手を理解する際に、自分の立場に留まったまま話を聞くのではなく、一度自分の視点を離れ、相手の立場に我が身を置き、あたかも魂が融合するかのようにして相手の感情や思想を追体験しようとする姿勢を指します。
自分の全存在をかけて相手の立場に身を置き、相手が本当に感じ、求めていることを魂のレベルで理解しようとすること。これは非常に難しい実践ですが、これこそが真の社会感覚を育み、共同体の人々が心を通わせるために不可欠なのです。
シュタイナーがこの思想を提唱した第一次世界大戦直後は、労働者階級と資本家階級の対立が激化していました。知識人や資本家が、この「全身当事者主義」の精神をもって労働者の過酷な境遇を追体験し、真に共感することができなければ、社会問題の解決はあり得ないとシュタイナーは訴えたのです。
外部から強制される意識の危険性
しかし、当時の社会運動には大きな問題がありました。それは、精神の自由を脅かす外部からの強制です。
「階級意識」への懐疑
当時のマルクス主義は、プロレタリアート(労働者階級)という集団を定義し、労働者は「階級意識」に目覚めるべきだとしました。
シュタイナーは、この階級意識は、本当に一人ひとりの労働者の内面から自発的に生まれたものなのだろうかと問いかけます。むしろそれは、マルクス主義という外部の理論によって、外側から注入され、強制された意識ではないか、と指摘するのです。
国家であれ社会運動であれ、個人の精神の中に特定の意識(この場合は階級意識)を強制するとき、それは精神生活における「自由」を侵害します。マルクス主義は、資本主義による搾取という問題意識から生まれた、道義的には正しい動機を持つ思想でした。しかし結果として、その理論がイデオロギーとして硬直化し、労働者の内面に強制力をもって働きかけ、「労働者階級はこう考えるべきだ」という枠を押し付けてしまった側面も否定できないのです。
科学万能主義による精神の支配
当時の社会問題の根底には、もう一つ大きな潮流がありました。それは、自然科学的な思考、すなわち科学万能主義(物質主義)による精神の支配です。
自然科学は、法生活と同じように「量的思考」を基本とします。データを収集し、数量的に社会を分析するアプローチは確かに有効です。しかし、この数量的な考え方が社会全体を覆い尽くしてしまうと、人間の内面世界までもが数値で測られるようになります。その結果、精神生活が本来持つべき「質的思考」が抑圧されてしまうとシュタイナーは警鐘を鳴らします。
労働の「量化」と人間の価値
この量的思考は、経済活動、特に「労働」の捉え方にも侵入します。本来、労働は個人の能力や精神性が発揮される質的な活動です。しかし、数量的な思考が社会を支配すると、労働は「賃金」という画一的な指標で量化されます(労働の商品化)。
その結果、時給や給料が高い労働ほど価値があり、ひいては高い賃金を得ている人間ほど価値がある、という風潮が生まれます。人間の価値そのものが、賃金の多寡という量によって決定されてしまうのです。この問題は、現代に生きる私たちも真摯に向き合うべき課題と言えるでしょう。
シュタイナーは、本来、労働(自己実現や他者への貢献)と賃金(生活の糧を得る手段)は切り離して考えなければならないと主張します。労働は精神生活の表れであり、お金では測れない絶対的な価値を持っているからです。
内なる「社会衝動」から始める変革
当時の労働者階級が抱えていた最大の問題は、皮肉なことに、社会革命の当事者であるはずの彼らの精神そのものが、外部から押し付けられた物質主義的・機械論的な精神(マルクス主義もその影響下にあった)に支配されてしまっていたことでした。自分たちの内なる意志だと信じているものが、実は外部から与えられたイデオロギーに過ぎないという事実に、彼ら自身が気づいていない。そこに問題の根深さがあったのです。
外部から強制されたイデオロギーは、一人ひとりの内面の奥底にある、本来の純粋な「社会衝動」に蓋をしてしまいます。
シュタイナーの思想をたどると、私たち一人ひとりが、外部の理論や権威に依存するのをやめ、自らの内なる社会衝動に出会い、そこから社会に参加していく以外に、真の社会問題の解決はないという結論に至ります。自分の内側から湧き上がる「より良い社会を築きたい」という純粋な衝動こそが、未来を切り拓く鍵となるのです。
志村昌司(アトリエシムラ代表)による読書案内です。
主に文化、芸術、思想に関連する書籍を取り上げます。
youtubeでも毎週月曜日更新予定です。
ぜひチャンネル登録をしてお楽しみいただければ幸いです。