『ゲーテとの対話』(前編)
エッカーマン(著)
みなさんこんにちは。アトリエシムラの志村昌司です。今回は、エッカーマンの『ゲーテとの対話』をお伝えしたいと思います。
エッカーマン(著)『ゲーテとの対話』
岩波書店 2013年出版
『ゲーテとの対話』は、現在は岩波文庫から三巻本(山下肇訳)で出ています。三冊揃えるとかなりの分量で、相当な著作ですが、読み出してみると、エッカーマンとゲーテ(1749-1832)の対話形式で、比較的読みやすいと思います。翻訳も、岩波文庫版は1968年に出たもので、もう五十年以上、六十年近く前の翻訳ですが、今読んでもそれほど古さを感じさせない訳文ですので、その面でも読みやすいかと思います。
もっとも、本書はゲーテその人の著作ではなく、ゲーテとエッカーマンの対話の記録です。しかし、ゲーテの思想や芸術、文学を理解するうえで、非常に参考になる本です。くだけた語り口の場面も多く、堅い文章とは違い、入門書として最適な一冊ではないかと思います。
最近では、水木しげるさんがこの本を戦地に持参し愛読していたという話もあり、改めて注目されている本ではないかと思います。『ゲゲゲのゲーテ』という水木さんの著作のなかでも、『ゲーテとの対話』はたびたび取り上げられています。
はじめに
エッカーマンが書き留めたこの対話は、1823年から、1832年にゲーテが亡くなるまでのものです。82年にわたる長い生涯——当時としては奇跡的な長寿でした。その人生のまさに最晩年、70代から82歳に至るまでの対話集ということになります。
ちなみに、上巻は1823年から1827年、中巻は1828年から1832年、下巻は1822年から1832年という形で、多少の重複はあるものの、おおむね年代別に編まれています。下巻に1820年代前半の対話が含まれているのは、もともと第三部としてエッカーマンの晩年近くまで刊行されず、補遺的な性格をおびていたためです。
このなかには、さまざまな主題が登場します。そのなかから、現代の私たちが『ゲーテとの対話』を読むアクチュアリティとして、二つの主題に注目したいと思います。
ひとつは、ゲーテの「世界文学」という理念です。文学はそれぞれの国や民族から生まれるものですが、そうした国家や民族の枠を超えた「世界文学」をゲーテは提唱しました。これがまず第一の読みどころです。
もうひとつは、現代が非常に専門分化した、いわばタコツボ型の社会であり、スペシャリストが重宝されるなかで、ゲーテは文学・自然科学・政治の各領域を横断する総合的なジェネラリストであったということです。さまざまな領域に知見と関心を持つ人間像は、現代では稀になりつつありますが、かつてこういう人がいたという事実は、私たちにとって示唆的なものになってきます。この二つの主題は、いずれも本書のなかで、政治家や文人・科学者との対話を通して立ち上がってきます。当時のさまざまな大臣や政治家がゲーテのもとを訪れていることも、ゲーテの多面性をうかがわせる面白い点だと思います。
1 エッカーマンとゲーテの出会い
まず、エッカーマンという人物と、ゲーテとの出会いについてお話しします。
エッカーマンは1792年、ドイツ北西部のハノーファー選帝侯国に生まれました。ゲーテとは四十歳ほど、おおよそ四十二、三歳の差があります。家庭的にはあまり恵まれなかった人ですが、対ナポレオン解放戦争に義勇兵として参加した後、ゲッティンゲン大学の給費生として法律を学びます。しかし法律が肌に合わず、一年で退学し、その後、文学の道に進むという、なかなか苦労の多い人でした。
エッカーマンが世界的に知られるきっかけは、まさにこの『ゲーテとの対話』でした。満三十歳のとき、エッカーマンは自分の美学論文集『詩への寄稿論文—特にゲーテに焦点をあてて』をゲーテに送ります。そのなかで、ゲーテのことも彼なりにさまざまに論じていました。それをゲーテが読み、対面が叶うことになります。
これが1823年6月、ワイマールでのことでした。ここで初めてエッカーマンはゲーテと対面し、その際にひじょうに気に入られます。ここは不思議なところで、ゲーテにはおそらく無数の知己があり、ゲーテと親しくなりたいという人も多かったはずです。そのなかで、エッカーマンはとりわけ気に入られ、ゲーテの対話相手に選ばれ、その対話を記録することを許され、さらにはその記録を出版してよいということにまでなった。ここまでの出会いに至ったというのは、驚くべきことです。
この出会いののち、エッカーマンはゲーテが七十代後半から八十二歳で亡くなるまで、一貫して最も信頼される協力者であり続けます。ちょうど青年期から中年期にかけて、エッカーマンにとっても人生でもっとも活動的な時期に、ゲーテとの対話がおこなわれたわけです。
ゲーテからの信頼の厚さを象徴する一つのエピソードが、ゲーテの一人息子アウグストのイタリア旅行への同行です。アウグストはこの旅行中、1830年10月、ローマで天然痘により客死してしまいます(エッカーマン自身は途中ミラノで体調を崩し、先に帰国していました)。父ゲーテが愛息の長旅にエッカーマンを伴わせたという事実そのものが、その信頼の深さを物語っています。
エッカーマンは秘書的な対話者として活動したわけですが、単なる対話の相手にとどまらず、ゲーテ後半の著作を成立させるうえでも重要な役割を果たしました。ゲーテが七十代から八十代にかけて手がけた著作群——たとえば『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』(改訂版、1829年)、自伝『詩と真実』第四部、そして『ファウスト』第二部——この最晩年の十年間に、ゲーテは実に多くの著作に取り組んでいます。その校閲などをエッカーマンが引き受け、後押しをしたのです。実務的な面でも、きわめて重要な協力者でした。ですから、ゲーテ最晩年の著作については、エッカーマンの存在なしには成し得なかったといえるほどの役割を、彼は果たしたわけです。
『ゲーテとの対話』そのものについては、ゲーテ自身は存命中の公表を望まなかったとされています。差し障りのある話題も多かったのでしょう。当事者がまだ多く存命だった時期ですから、なおさらです。ゲーテの死後、エッカーマンはまず第一部・第二部を1836年に出版します。第三部もエッカーマンは出版したかったのですが、編集作業の遅延や出版社とのトラブルが重なり、なかなか刊行に至りません。1848年になってようやく別の出版社から出版され、全三部が揃うことになりました。
ですから『ゲーテとの対話』という本は、もともとは私的な対話録から始まったものが、十年以上にわたる記録の蓄積のなかで文学的価値をおびていった——その価値はゲーテ自身も認めていたのでしょう——それをエッカーマンの主導と編集上の努力によって一冊にまとめあげた本だ、ということが言えるわけです。
2 思想史的文脈
次に、『ゲーテとの対話』がどのような思想史的文脈にあったのかをお話しします。三つの流れから考えたいと思います。第一にドイツ古典主義と啓蒙主義の系譜、第二に世界文学の地平、第三に歴史と時代精神——ナポレオンをめぐる問題です。
ドイツ古典主義と啓蒙の遺産
まずはドイツ古典主義と啓蒙の遺産についてです。
ドイツ古典主義とは、ゲーテと友人シラーの二人がワイマールにおいて協働関係を築いたところから始まった文学・文化運動です。シラーとゲーテの二人から始まったこの運動が、いわゆるドイツ古典主義へと結実していきます。
これは、ギリシャ・ローマ的な啓蒙主義の「理性」と、当時の「疾風怒涛(シュトゥルム・ウント・ドラング)」運動が掲げた「感情」と、この二つを統合することによって、調和のとれた人間性を目指していこうとする運動です。理性と感情の調和した人間性を目指した文学運動が、ドイツ古典主義であったということです。
ドイツ古典主義はその後、非常に大きな影響を後世に与えていきます。その源流には、ギリシャ古代美の「高貴なる単純と静かなる偉大」を讃えたヴィンケルマンン(1717-1768)、市民悲劇(ビュルガーリッヒェス・トラウアーシュピール)を確立したレッシング(1729-1781)、そしてシラー(1759-1805)やゲーテといった人物がいます。哲学的領域では、やはりイマヌエル・カントの存在が決定的に大きかった。こうしたドイツの一大文学的潮流が、この時代に勃興してきたわけです。
世界文学の地平
そのうえで、第二に、ゲーテは晩年に「世界文学」を構想するようになります。
文学者としてのゲーテはもちろんドイツ語で書いてきたわけですが、晩年に至って、世界文学という地平を視野に入れるようになる。世界文学とは、それぞれの民族・国家のなかにある文学を、世界——おそらく当時の感覚ではヨーロッパということになりますが——その規模での文学者や読者との相互コミュニケーション、相互影響のダイナミックなプロセスとして捉える構想だった、と言われています。
つまり、それぞれの国民文学が、その特殊性を保ちつつも、相互の対話を通じて、ある種の普遍的な人間性を目指していく——理性と感情を兼ねそなえた普遍的人間性を目指していこうという理念が、世界文学にはあったわけです。
逆に言えば、ナショナリズムという問題が大きくなりつつあった時代でもあった、ということになります。ナショナリズムと、世界文学が象徴するようなコスモポリタニズム——この二つの相克が、当時のヨーロッパには垣間見えるわけです。
ゲーテはシェイクスピアやモリエールといった、当時から見ても古典に属する作家から、同時代のウォルター・スコットやバイロンに至るまで、ヨーロッパ大陸のさまざまな作家を——ドイツに限らず——『ゲーテとの対話』のなかで縦横無尽に論じています。十八世紀から十九世紀のこのあたりの時代に、すでに書籍の流通が成立していた。イギリスでもフランスでもイタリアでも出版された本が、ドイツでも読める。こうした書籍の流通や翻訳の整備が、世界文学を成立させる前提として、同時並行的に進んでいったということも言えるでしょう。
そのなかでゲーテは、古典主義的な調和と形式を重んじる立場にありながらも、あるいはそうした立場にあるからこそ、バイロンを高く評価していきます。バイロンのなかにゲーテは、既存の形式や道徳律を超越するような根源的な想像力、いわばデモーニッシュなエネルギーを見出していくのです。
既存の形式や道徳を超えていく根源的なエネルギーは、ナショナリズムの枠にも収まりません。理性は、人間の根源的なエネルギーに秩序を与える役割をもちますが、一方で、生命そのものの根源的なエネルギーは、理性が与える秩序を乗り越えていく生命の躍動でもある。この理性を超えるエネルギーと、人間の理性との、いわば相互弁証法的な関係——そこに創造の源泉がある、ということも言えるわけです。
歴史と時代精神——ナポレオン
第三に、歴史と時代という観点です。同時代の人物として、ナポレオン・ボナパルトが重要な形で登場します。
ゲーテ自身は、ナポレオンを非常に高く評価しています。これは一面、意外に思われるかもしれません。ナポレオンは数多の戦争を引き起こした破壊者であり、それまでのヨーロッパの秩序を打ち壊した張本人でもあるわけですが、そこにゲーテは一定の評価を見出します。
ゲーテはナポレオンのどこを評価したのか。それは、先ほどバイロンについて述べたのと同じ視点です。すなわち、時代という枠を超えた根源的な創造者・破壊者の姿を、ナポレオンのうちに見たということです。ある種のデモーニッシュな天才の姿を、ナポレオンのなかに見出したと言えます。
ここに、ゲーテのナポレオン評価が立体的に浮かび上がります。中世以来のヨーロッパの秩序は、たしかに安定したものでした。しかし裏を返せば、ひじょうに窮屈で硬直した秩序でもあって、そのヒエラルキーのなかで苦しんでいた人や、行き詰まりを感じていた人も少なくなかった。安定した秩序の負の側面というものは、確実に存在したわけです。それをナポレオンが一度破壊した、とも言えます。
こうした理性と感情、秩序と破壊の相克を、ゲーテは歴史観のなかに抱いていた。歴史を動かす個人の役割を、既成の秩序を乗り越えていくところに見る——そうした歴史観がゲーテにあったということです。
以上、ドイツ古典主義、世界文学、そして同時代のナポレオン的な「封建的秩序の破壊と新たな創造」——この三点を、『ゲーテとの対話』から読み取ることができるわけです。
3 テキストの成立とニーチェの評価
最後に、テキストの成立についてです。
『ゲーテとの対話』の出版は、なかなか一筋縄ではいきません。ゲーテの死後、1836年に第一部と第二部が出版されます。ゲーテが亡くなって三、四年後ですから、第一部・第二部は比較的早く世に出たわけですが、続編となる第三部はなかなか刊行に至りません。それでも十数年後の1848年、別の出版社からようやく刊行され、全三部が揃うことになりました。
『ゲーテとの対話』は、時を経るごとに評価を高めていきます。評価の高まりを決定的にしたのが、ニーチェの言及です。ニーチェは『人間的、あまりに人間的』(第二部・続編『漂泊者とその影』、1880年)のなかで本書を取り上げ、ひじょうに高く評価しています。すなわち、「ゲーテの書いたもの、とりわけドイツ語で書かれた最上の書物であるエッカーマンとの対話を除いてしまえば、繰り返し読むに値するドイツ語の散文のうちに何が残るだろうか」というほどの評価です。
この評価がなぜ画期的だったかと言えば、ニーチェはゲーテのなかに、より根源的な、創造的破壊者としてのニーチェ像を読み解こうとしたからです。その際に、ゲーテの「生の声」を『ゲーテとの対話』のなかに見出した——そのように言えるわけです。
おわりに
最後に、『ゲーテとの対話』は、稀に見る対話文学である、ということを述べておきたいと思います。
対談集そのものは、もちろん数多くあります。さまざまな人物との対談集はよくある本です。しかし、十年以上にわたって一人の人物との対話が続いていく——しかもこの場合、対話の相手であるエッカーマンが、たいへんまめな人で、ゲーテとの対話の記録をきちんと書きとどめ、それを文章として再現することができた。これは驚くべきことです。
今ならテープレコーダーで録音して文字起こしをすることもできるでしょうが、当時はもちろんそれができなかったわけで、それがこのレベルで再現されているという事実は、エッカーマン自身の文学的才能によるところも大きかったのではないかと思います。
次回は、『ゲーテとの対話』の具体的な内容と、ゲーテの生涯とをクロスオーバーさせながら、より深い読解に入っていきたいと思います。
志村昌司(アトリエシムラ代表)による読書案内です。
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